第80回日書展受賞者 渡邉之響先生

古筆の高雅な佇まいを纏う筆の跡

サンスター国際賞受賞 渡邉之響先生インタビュー

受賞作

詞華集 伊勢大輔(いせのたいふ)の歌

いにしへの奈良の都の八重桜今日九重ににほひぬるかな

第80回日書展サンスター国際賞は、かな部の渡邉之響(わたなべしきょう)先生が受賞されました。

「強靭にして清新な線が文字を際立たせ、さらに空間へと斬りこむ。平安から繋がる古筆の格調を纏いながら現代に生きる書として見事に謳いあげた佳作である。」と評されました。

渡邉先生に作品への思いや、書との出会いなどについてお話を伺いました。

題材に選ばれた伊勢大輔の和歌についてお聞かせください

詞華集に収められている和歌で、小倉百人一首で採られていることから、広く知られた歌の一つだと思います。多くの書家が選んで書いてきた歌だから目に触れることも多く、自然に思い浮かび、詠うように書けるという面もあります。また、日書展の時期に相応しい春の景色が広がる綺麗な一首を選びました。

いにしへの…とある通り、かつて奈良に都があったころ、平安時代の当時はまだ華やかな八重桜は珍しく、都が京都に移される折り宮中に献上されたそうです。今日その桜が常によりも増して一段と色美しく咲き誇っているという様子が表現されています。

また、いにしへ(=昔)と、けふ(=今日)の時代の照応、八重(桜)と九重(=宮中)の韻を踏む言葉の響き合いと数字の照応も見どころとなっています。

受賞されたときのお気持ちはいかがでしたか?

松井玉箏常務理事からお電話でお知らせいただいて、そのときちょうど私自身も公募作品の審査を終えてひと段落したので、食事に出かけましょうと外出した矢先でした。今年も授賞式当日の司会進行役として式次第に自分の名前が記載されていましたし、まさか自分の作品が選ばれると思っていませんでした。知らせを聞いた時は、喜びというよりも驚きの気持ちの方が大きかったですね。

今回の作品が仕上がるまでの過程をお聞かせください

千年前の高雅な筆の力を借りる
かな作品では複数の歌を書く方も多いのですが、細字でたくさん書く場合は別にして、私は一首だけで勝負したい。しかし、繊細な字で書かれた小さな古筆をいきなり大きな紙にそのまま拡大して書いても間延びして作品として成り立ちません。かなの古筆だけでなく、漢字の古典も同様に勉強して、日頃から結体(字の形)がしっかりとした線を鍛えておく必要があります。そのために毎日かならず古典の臨書をします。一定の期間同じものを書き続けていると、千年前の高雅な筆の感覚が手に移り、馴染んできます。その手の状態で自分の作品を書いてみると、平安時代の優れた古筆の力を借りて、その風格を纏ったまま表現できるように思えるのです。

受賞作は最後に書いた一点
朝は古筆の細字を臨書して、午後から自分の大字の作品を手掛けて。当初は他にも候補があったので、書いてみてしっくりくるものを選びました。最終的に桜の歌を選んだので、料紙はその景色を彷彿とさせる華やかな色が良いのではと想像していましたが、書いてみるとそうではありませんでした。詠まれた時代の雰囲気に合う、むしろ落ち着いた色の方がうまく馴染みました。

書くものが決まってからも納得できる作品ができるまでは自分との闘いで、一旦貼っておいて、翌朝改めて見てどう感じるかで反故にしたり残したりしながら最後に一点を作品として選びます。今回の作品は、表具屋さんが自宅に作品を取りに来られたその日の朝に書いたものでした。書き直さずに前日までに用意した作品だったら結果は違っていたかもしれませんね(笑)。

書道を始めたきっかけは?

幼少から稽古に励む
小学生に上がる前から習字教室に通っていました。とても褒めてくださる先生だったので、それが楽しくて続いたのだと思います。自分に合っていたのでしょう。書くことがどんどん好きになっていきました。本格的に始めたのは大人になってからですが、幼少時代を含めると筆を手にして50年になりますね。当時お教室には子どもから大人までいましたので、大人用の「かな」のお手本に惹かれて、中学生のころには家で勝手に大人用の手本で臨書を始めていました。大学在学中に書道教室を開いて、当時はとてもたくさんの方が来られていたので、それで暮らして行けそうだと。いわゆる就職活動をしたり勤めたりした経験はありません。

恩師との出逢い
本格的に学ぶようになったのは22歳のころからです。古筆研究の第一人者で、かなの大家であった加藤湘堂(かとうしょうどう)先生に師事することになりました。著名な方で既にご高齢でしたので、新しい弟子は取らないとはじめは全く相手にしていただけなくて(笑)。今では考えられないことですが、当時は若気の至りと申しますか、稽古場に電話をかけて、断られてもしつこく食い下がり、ついには先生も根負けされて見学だけなら…と許してくださり、訪問する日に作品を入れたアジャストケースを下げて行ったんです。「何か書いたものを持ってきたのですか」と先生が御覧くださって、その後すぐ穏やかな優しい顔つきに変わって「それで、何曜日に来るの?」と仰られた時は本当に嬉しかったですね。入門を許されてから、技術を磨く上でとても厳しくも、溢れる知識と見識をお持ちの師の下で学ぶことができたのは何より幸せなことでした。

作品を書くときに心がけておられることは?

臨書について
手本は2冊買って使うようにしています。勿体ないですが1冊は切ったり剥がしたりして、手元に寄せて見やすい大きさにします。古筆は小さくてとても繊細ですから、できるだけ近づけて見て書かなければ、その通りの線や形にはならないのです。平安時代の貴族が書いた雅な線をそのまま写し取るように、書いた紙を重ねてぴったりの形になるまで、原寸で繰り返し書き続けていきます。優れた古筆はとてもたくさんあって、毎日書いても間に合わないぐらいの数があります。好きだからできることではあるのですが毎日コツコツ積み重ねていくしかないですね。同じことを何回も繰り返していることで心に余裕が生まれ、自分の作品を書くときには、楽な気持ちで書けるようになります。

料紙について
かなの料紙は箔や砂子などが施された典雅なものが多くて、滲み止めされた加工紙だったり、墨が入る素紙だったり実に様々です。異なる性質のどのような紙にも対応できるようになるには、日頃から経験を積んで鍛えておく必要があります。
師は古筆の模写・再製の権威で、料紙製作の第一人者であった、田中親美先生の直弟子でしたので、普段から田中先生の美術品のような料紙に書かれていました。
師は平安時代の古筆切が現代に残っているのは、優れた筆跡であることに加えて、美しい料紙に書かれていたから人々に大切にされてきたのだと仰っていました。ですから、結果的に何百枚書くことになっても良い紙を使います。高価ですし、二度と手に入らない紙もありますから、限られた枚数の中で仕上げる必要もあり、失敗できないですね。今回の出品作品の紙も在るもの全てを使ってしまいました(笑)。

*田中親美(たなかしんび):日本の美術研究家、画家、書家、料紙製作者であり、特に古筆や古絵巻の研究において第一人者とされる。日本国宝「源氏物語絵巻」の模写をはじめとする多くの重要な文化財に携わり、平安朝美術の普及に大きく寄与した。
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筆について
和歌など流麗な文字は繊細な線が書ける毛先がシャープなイタチ毛の面相筆、たおやかな線は玉毛の筆を使います。書くたびに紙の上で筆の表面を削っていくようなものですから長くは持ちません。細字を書く書家は同じ筆を5本10本とまとめて買っている方が多いと思います。でも、職人さんの手作りですから同じ筆であっても全く同じものにはならないのです。筆の中心となる命毛が筆の動きを決めるのですが、ほんの僅かな差で書き良さに違いが出てしまうのです。幸いなことに、私の家の近所には有名な筆屋さんがあって、毎日のように散歩がてらふらっと立ち寄っては筆を手に取り、良いと思うものがあれば1本ずつ求めて帰ることができます。ただ、昔と同じ材料が手に入らなくなっているので良い筆は高価になり、数も少なくなっていますね。使い続けた筆は、古筆の臨書やシャープな線には向きませんが、味わいを表現する俳句作品などに使うと、この筆にしか出せない線が書けます。筆は書きたいものに合わせて使い分けて大切に使い続けています。

これからの抱負についてお聞かせください

生前師から、年月を重ねていけば字が上手くなっていくというのは大間違いだと言われていました。枯れる、枯れてきたとか、重みのあるといった表現は、決して誉め言葉ではないと言うのです。若いときの、強さの中にあるしなやかで柔らかい線は、勢いのある時期、体力があるからこそ書ける。50~60代はあっという間に過ぎてしまうので、代表作として残るものは手が動くうちに取り組んでおくことが大切だと教えられました。
以前はよく巻子を作っていました。先生も高齢でしたし、今のうちに見ていただかなくてはと毎日必死で書いていました。
今では、日々の書斎的な小さな巻子などは、誰かに見せるとか、評価を受けるなどという意識が入らないので、少しでも高いものが書けるのではないかと思えるのです。
万葉集は約4,500首。1日に50首のペースで書けたとしても、全てを書き終えるには約3ヵ月を要します。この先はさらに時間がかかるでしょう。見せるものでないにしてもライフワークとして格調高い作品を残していきたいと思っています。

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